公開日 2013年3月21日
更新日 2023年10月30日
国王塚
元文年間のことである。江戸は吉原に遊女国王というものがあった。越後は今町に生まれ、都にはまれなる美人。家業のおとろえに、ままならぬ苦界に勤めるようになって数年を経たが苦界に耐えがたく、郷里を想う情絶ちがたく、折柄一夕、遊客から越後今町の方向を聞き、ひそかに楼を抜け出した。
追っ手のかかるのをおそれ、一路山道を選び、河を渡り、姿をやつして、たどりにたどり続ける。かねがね、かくあることに備えてつくりおいた干えに飢えをしのぎ、山水に喉を潤して、上州から信州の奥山にいたる艱難辛苦して計見山から中島に下ることができた。
村上の三叉路に休息して、里人に今町を聞くに、「あの山を越えればすぐ今町なり」と富倉峠を指差して教えられる。大いに喜びたるとともに、連日の疲労と安心とはついに姿をやつしたみめ麗しき彼女を死に至らしめ、悲願を達せしめることができなかった。
村人は彼女の死を憐れみ、合集いて照明寺の僧に引導を乞い、樽川のほとりに埋葬、墓の傍らに桜の木を植え、丸石に「国王」と刻み、可憐なる霊をまつる。
今に桜の木はあるも墓石は明治29年の洪水に流され、塚の形も存せない。(国尾ならんも照明寺の過去帳には国王とあり)
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