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木島平村

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市川筑前守に関する墓碑

公開日 2013年03月21日

最終更新日 2020年03月12日

 戦国時代、上杉謙信と武田信玄が川中島で争っていたころ、木島平は豪族の市川氏が治めていました。市川氏は厚く仏教を敬い、木島平に3つのお寺(高石の泉龍寺、西小路の真宗寺、大町の照明寺)を建てました。

 

 高石の泉龍寺は市川房幸が建て、その周辺の荒地を開墾して田や畑を増やしました。泉龍寺にはこの房幸のお墓が残っています。お墓は宝篋印塔の形をしています。正面に蓮の実が浮き彫りにしてあり、横には「泉龍院殿月山宗圓大居士文禄三年庚午正月二十七日」と、戒名と亡くなった日を刻んであります。泉龍寺の言い伝えは、市川信房のお墓となっていますが、いっぽう北海道釧路市に住んでいる市川氏の子孫の系図でみると、信房の子房幸のお墓にあたります。彼は筑前守・藤若丸・新六郎ともよばれていました。文禄3年信房の孫勝房が7歳で市川家を継ぎました。長寿丸・新九郎と呼ばれ、叔父の為綱を相談相手とし、市川家を守っていました。彼は西小路の真宗寺を建てて厚く仏教を信仰しましたが、慶長10年(1605年)18歳で亡くなりました。

 

 彼のお墓は真宗寺にあります。板状の墓石に「筑前守慶長十四年三月二十四日」と刻まれています。釧路市の市川家の系図によれば法名は「真宗院殿桀宗英居士」です。

 

 両方のお墓は泉龍寺ならびに真宗寺が建てられたいわれを知る上で貴重なものです。

 

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住所 

往郷3705-イ(泉龍寺)     
村指定番号 33
指定年月日 昭和62年2月19日

 

 

地図

市川筑前守に関する墓碑

お問い合わせ

総務課 政策情報係
TEL:0269-82-3111
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