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長坂家所蔵文書

公開日 2013年03月21日

更新日 2023年01月20日

 大持坂新田の中ノ橋は上木島村に入るのか夜間瀬村に入るのかで争い、幕府に訴えました。幕府は元禄9年(1696年)4月25日、中ノ橋は夜間瀬村のものであると判決をくだし、上木島村は負けてしましました。

 

 中ノ橋が夜間瀬村分になると、その奥にある木島山の入会権と樽川の水利権も夜間瀬村分になるので、上木島村ばかりでなく木島平18か村は、山と用水を取り戻すため、ふたたび幕府に訴えることにしました。そこで木島平18か村は信望のある大町安国神社の祠官長坂織部に先頭に立ってもらうため、18か村の名主の血判状を差し出してお願いしました。

 

 織部は木島山と樽川の水は、木島平18か村分だという証拠を探しまわりました。証拠になる書類、奥山は巣鷹山であることなどをもって、何回も江戸を往復しました。そして多くの苦労を重ねた結果、元禄11年(1698年)5月25日、幕府は木島平18か村の言い分を認める判決をくだしました。

 

 長坂家には寛永年間から慶応年間までの、たくさんの古文書があります。そのなかから両村の訴訟事件に関係する古文書に限定して、その全部を指定しました。

 そのほかにも次のような文書が指定されています。

 (1)深沢堰関係文書 明暦、元禄3点

 (2)上杉景勝書状   栗林肥前守宛

 (3)伊井直亮書状   松平飛騨守宛

 

薄冊33点、書状36点

 

 

住所 

上木島1799-イ     
村指定番号  40
指定年月日 H2.4.25

 

 

地図

長坂家所蔵文書

お問い合わせ

木島平村役場 総務課 政策情報係
TEL:0269-82-3111