ページの先頭です。

本文へ移動

巣鷹八幡のブナの巨木

公開日 2013年03月21日

更新日 2024年03月29日

 部谷沢の巣鷹八幡社の入口にあたるブナの木は、太さ3.14メートル、高さ30メートルの大木です。

 巣鷹八幡社の巣鷹というのは、鷹の子を捕獲する巣鷹山とつながりあって名付けられました。

 志賀高原から毛見・野沢・志久見へ続く奥山は、古くから鷹が巣をかけて雛を育てる森林でした。一番古い記録では、今から750年ほど前の鎌倉時代、寛喜元年(1243年)志久見山(栄村)の地頭中野能成は、木島山の地頭木島兵衛尉が、鷹の子4羽を盗んだと鎌倉幕府に訴えでました。木島氏は鷹の子を捕らえた山は毛見氏の領地であると主張しました。そこで毛見郷の地頭毛見実綱に聞いたところ、そこは毛見氏の領地ではないと証言しました。このため守護北条実時は、木島氏に鷹の子を返すよう命じる判決をくだしました。

 江戸時代になって松平忠輝は、慶長12年(1607年)沓野山に巣鷹山を設けて、11人の巣守衆に管理させました。つづいて慶長18年(1613年)志久見山にも巣鷹山を設けました。10人の巣守衆をおき、110石の手当を与えて取り締まらせました。元和5年(1619年)12月、木島平に領地を持つ岩城貞隆は、沓野山と志久見山の間にある野沢山に東西13里、南北8里の広い巣鷹山を設けました。そして10人の巣守衆に、巣鷹山への入山をさせないこと。巣から鷹をつかまえて殿様に差し出すよう命じました。そのため、鷹が巣をつくる時期に、野沢・馬曲・計見・木島の4か村の村の巣鷹山への登山口へ、立入禁止の立札をたてさせました。計見山の登山口は巣鷹八幡社で、ここに立札をたてさせたことから巣鷹神社と呼ぶようになりました。このような史跡にあるブナの巨木は、我々に巣鷹にまつわる様々な史実を語りかけてくれます。

巣鷹八幡のブナの巨木

巣鷹八幡のブナの巨木
住所 往郷(部谷沢)
村指定番号 36
指定年月日 昭和62年2月19日

地図

巣鷹八幡のブナの巨木

お問い合わせ

木島平村教育委員会 教育委員会生涯学習課 生涯学習係
TEL:0269-82-2041