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村に伝わる民話:鐘ヶ淵

公開日 2013年3月21日

更新日 2024年2月7日

鐘ヶ淵

 夜間瀬村大持坂(現在の山ノ内町)付近に鐘ヶ淵と称するところがある。ここは今の照明寺がまだ五輪峰正照寺といったころ、その寺の釣鐘が、ある晩うなりを生じてこの谷の淵へ沈んでしまった。

 天気のよい日にはその鐘が淵の底に見えるが、なかなかこれを引き上げることができなかった。何度か引き上げようとしたが、ついにははたせなかったので、また新しく鐘を鋳造して釣った。ところが、またある晩のこと、うなりを生じて例の淵へころがりこんで沈んでしまった。これが 鐘ヶ淵といわれるゆえんである。

 そのため今でも照明寺では鐘を釣ることができぬそうだ。

(上木島村誌より)

鐘ヶ淵由来

 医王山照明寺が再建されて間もない頃の事です。照明寺には鐘楼がありませんでしたので、本寺である温泉寺(現在の山ノ内町渋、横湯山温泉寺)の住持様が50立方センチメートル位の木箱を寺男に背負わせて「この箱を末寺(分家)の照明寺に届けなさい」と言って、照明寺へ向かわせました。

 その頃の街道は今とちがって山の合間伝いの道でしたからものすごく険しいものでした。

 寺男は照明寺へ向かって来ましたが背中の荷物の重いことったら言いようもありません。荷縄が両肩に食い込んで、今にも両肩が抜ける様です。

 大門坂の見える処まで来て一休みして気がつきました。「箱のわりにはものすごく重い、一体なんだろう」と不思議に思って、箱のふたをとったとたん、中身は一気に巨大な梵鐘となって、谷を転げ岩を歯み淵に沈んでしまいました。

 この後、照明寺で梵鐘を作っても樽川を逆登り、この淵に入ってしまったということで、今もって照明寺には鐘楼も大梵鐘もありません。

(照明寺住職 伊東照啓記)

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