公開日 2013年3月21日
更新日 2024年4月19日
村指定文化財 龍興寺清水
龍興寺清水は木島平村内山地区の公民館の横(穂高1282‐4)に湧き出る清水で、かつてこの地にあったお寺の名から、龍興寺清水と呼ばれ周囲の住民達により大切に守られてきました。
現在は内山和紙体験の家で、紙すきの工程や手法を受け継ぐとともに、はがきやうちわなどの製作を体験することができます。
龍興寺清水
言い伝えによると、昔、有名な弘法大師が日本中まわっていたとき、この内山に立ち寄りました。そのとき杖を突き立てて村人に「水が欲しいか、お湯が欲しいか」とお聞きになり、村人が「水が欲しい」と答えたら数日してここに清水がわき出したといいます。村人はこの清水を弘法清水と呼んで大切に守ってきました。弘法大師は、亡くなってからの名前で、生きている時は空海と言いました。真言宗を開き、奈良県の高野山にお寺(金剛峰寺)を建てた人です。内山のこの場所に治承年間(1177年~1181年)見龍というお坊さんが寺を建てましたが、山くずれでお寺がなくなりました。天文元年(1532年)この泉屋敷に住んでいた土地の豪族壁和泉守が土地を贈って寺をふたたび建てましたが、弘治2年(1556年)また山くずれにあいなくなりました。慶長2年(1597年)得応というお坊さんが三たび建て、名前を龍興寺と改めました。以来この清水は龍興寺清水と呼ばれています。その後この水を利用して寛文元年(1661年)萩原喜右ェ門(1642年~1705年)が紙すきを始め、内山紙と名付け、広く知られるようになりました。以来この地方の一大産業として昭和時代前期までコウゾ、ノリウツギを使い内山紙が作られてきました。この間、この地方に疫病が流行して困っているとき、仏様(大日如来)をまつればなおると聞き、大日如来をまつり、このころから信仰に関係の深い柱松子が内山に始まり、今日まで続いて来ています。内山集落はこの龍興寺清水によって栄え、ありがたい弘法大師の話として代々語り継がれて来ています。
萩原喜右ェ門は青年時代、伊勢へお参りに行くとき、美濃の牧谷という所で紙の製造法を覚えたといいます。萩原喜右ェ門は宝永2年11月19日63歳で亡くなりました。喜右ェ門の生まれた家は今は内山にはありません。
- 住所 穂高1282-4
- 村指定番号 43
- 指定年月日 平成5年4月25日
徒歩1分の場所に立つ内山和紙体験の家。予約により紙すき体験ができます。
体験施設の他、内山和紙による作品が展示販売されています。
その水質の良さは万人の認めるところであり、現在も豊かな湧水をたたえる龍興寺清水は、地元住民や観光客ののどを潤し続けています。
この地にお立ち寄りの際はぜひ一度、龍興寺清水をお試しください。